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Pentecost.
2009/10/08[Thu]
antochuu.jpg
親分描けないよ!(ぽこぽこ

マタドールの”トドメ”のポーズ、のつもり……
だったんだけど、
途中で飽きた\(^q^)/ すまぬ>コウちゃ

資料がっつり用意して、いつかちゃんとかっこよく描きたい。(何も見ないで描いてたんだぜ☆)


▼中途はんぱな感じに切り出してみた
ant.jpg




▼余談
ちょっと最近、また胃の具合がおかしいんだぜ! 頭痛も酷いんだぜ!
原因は何だろうと探った所、ストレス以外の何者でもなさそうだ……
うん、いろいろあったしね



とりあえず追記で、書いてみたい事を書いてみた
自分の個人的な死生観です。多分、相当特殊なので注意

▼見ないが吉▼
 
▼重苦しい文章注意! 個人的な感覚なので批判は受け付けません




誰にでも生きる権利があるのなら、誰にでも死ぬ権利があるんじゃないだろうかと、考えました
生きたいと思う人が生きればいいし、死にたい人は死ねばいいと思いました
物凄く冷たい言葉でくくるなら、
生きたくないと思っている人間が、そのまま生き続け、空気を汚し、燃料を消費し散財を続ける方がよっぽど他の生命に優しくない
極論を言えば、呼吸一つで億・兆という微生物を殺して生きている我々なんですから
そう考えた時、死にたい人間は早く死んでしまった方が地球全体の為になるような気がしました

もし、自殺が世界的に認められる行為となって、死にたいと思った人間を人為的に「脳死」させられるようになったら
綺麗な自殺者の遺体一つで、もしかしていくつかの臓器移植待ちの人たちを助けられるかも知れない
とか、
その一人分の血液で、もしかしてどこかの白血病患者を救えるかも知れない
とか、
考えたら、自殺は絶対的に否定すべき行為でもないように思えるのですよ

そもそも、死にたがっている人間を生かそうと思う理由とは?
家族の世間体? 町や国の面子? それとも、見殺しにするようで寝覚めが悪いですか?
死にたいと思うのは生きたいと思う人に失礼だから?
生きれるだけ贅沢なのに?
私はどの理由も理解し兼ねます
生きる自由は認められるのに、死の自由は認められないのは矛盾してはいないでしょうか
自分の人生は自分で締め括りたいと、自殺をする事は許されませんか
それが若い内だとしてもいけませんか
「腹を切る」という概念があるように、責任を取るため、自分の命に幕引きする為でも駄目ですか


とりあえず、この国には、
自殺幇助という罪はあるが、自殺自体を罪にする法律はない
この事に違和感を覚えて仕方がありません






追伸

私は、今まで何度も死にたいと思った事があります
人生の意味が解らなくなった時、現状が辛くなった時、自分の存在する意味を見失った時
でも、大体、誰かと話している内に、誰かと触れ合っている内に
もしくは、たくさん食べたり、たくさん遊んだりしている内に、
「もう少し生きようか」と思えるようになっています

自殺を推奨する事も否定する事も、私はするつもりはありません
私は、
疲れたら眠りたい
疲れが取れたら遊びたい
そういう単純な思考回路しか持っていません

まあ、死にたいと思ったら、好きなものを食べて好きな事をして、ちょっと元気になってみればいいと思います
そしたら、家族でも知り合いでも、コンビニの店員さんでもいいから、誰かに会いに行けばいいと思います
自分の世界に他人が介入している間は、少なくとも一人ぼっちではないのだから


とりあえず、自殺志願者はちょっと一息ついてみて、という事です
それでやる気を取り戻したらメッケモンですよ!



……ネガティブかポジティブか、私の頭は相変わらず訳わからないな

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